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2018年3月17日(土)コンセール・ミニヨン
奇数月第③土曜日に、生徒さんと私の勉強会を行っています。
それぞれが勉強してきた歌を披露します。私も勉強した歌を皆さんの前で冷や汗をかきながら披露します。
今回は13人が参加。気合いのこもった素敵なコンサートでした。が、、曲のうんちくをしゃべりすぎて口が疲れた。。。
2018年3月17日(土) 13:30開場 14:00開演
「コンセール・ミニヨン」 於:月夜の仔猫
第1部
1 “あなたが欲しい(あなたが好き)
Je Te Veux” 1902年
“詞:Henri PACORY
曲:Erik Alfredi Le SATIE
訳:上原のぞみ(法定訳詞)”
2 “ラ・スパニョーラ(スペイン娘)
La Spagnola” 1906年
“詞:Vincenzo Di CHIARA
曲:Vincenzo Di CHIARA(ヴィンセンツォ・デ・キアーラ)
訳:堀内敬三(法定訳詞)”
3 “ボン・ボヤージュ
Bon Voyage”(Without You) 1957年
“詞:Danny SMALL(英) Jacques LARUE(仏)
曲:Danny SMALL
訳:美輪明宏”
4 “結婚行進曲
La Marche Nuptiale” 1957年
“詞:Georges Chales BRASSENS
曲:Georges Chales BRASSENS
訳:槇小奈帆(法廷訳詞)”
5 “マリア・リシュボア
Maria Lisboa” 1961年
“詞:David de Jesus Mourão-FERRARA
曲:Alain OULMAN
訳:アン・あんどう”
6 “北の故郷(平野の国)
Le Plat Pays” 1962年
“詞:Jacques BREL
曲:Jacques BREL
訳:矢田部道一(北の故郷)”
7 “美しい人(風が連れ去った恋)
Elle Etait Si Jolie” 1963年
“詞:Alain BARRIERE
曲:Alain BARRIERE
訳:矢田部道一”
8 “愛すれば愛するほど
Piu m’innamoro di te” 1964年
“詞:MOGOL(Mogol Giulio RAPETTI )
曲:Labati Carlo DONIDA
訳:高野圭吾”
9 “五月の夕べ
Un Soir de Mai” 1964年
“詞:Maurice FANON
曲:Maurice FANON
訳:高野圭吾”
10 “ジャッキー
Jacky” 1966年
“詞:Jacques BREL
曲:Gerard JOUANNEST
訳:志摩竜介”
11 “ガラスの部屋
Che Vuole Questa Musica Stasera
<1969年映画「PLAGIO剽窃」主題歌として日本では売り出される”> 1967年
“詞:Gaetano AMENDOLA & Roberto MUROLO
曲:Gaetano AMENDOLA & Ezio LEONI
訳:片桐和子(法定訳詞)”
12 “心遥かに
Testarda Io ~ La mia solitudine(頑固な私~私の孤独)”
La Distancia(距離)(原題) 1972年
“詞:Erasmo CARLOS & Roberto CARLOS
曲:Erasmo CARLOS & Roberto CARLOS
伊訳:MALGIOGLIO
訳:荒井基裕”
13 “女歌手は20歳
La Chanteuse A Vingt Ans” 1973年
“詞:Serge LAMA
曲:Alice DONA
訳:北川フラム”
14 “愛はるかに
Da Troppo Tempo” 1973年
“詞:Luigi ALBERTELLI
曲:Gianarlo COLONNELLO
訳:荒井基裕”
<休憩>
第2部
1 “バラのタンゴ
Tango Delle Rose” 1928年
“詞:Aldo BOTTERO & Filippo SCHREIER
曲:Aldo BOTTERO & Filippo SCHREIER
訳:日高仁”
2 “汽車は八時に出る
To Treno Fevgi Stis Okto”(The train leaves at eight) 1963年
“詞:Manos Eleftheriouマノス・エレフセリーウ
曲:Mikis Theodorakis ミキス・テオドラキス
訳:五木寛之”
3 “子供の頃
Mon enfance” 1967年
“詞:Jacques Romain Georges BREL
曲:Jacques Romain Georges BREL
訳:矢田部道一”
4 “愛はあなたのように
L’amour Te Ressemble” 1968年
“詞:Salvatore ADAMO
曲:Salvatore ADAMO
訳:矢田部道一”
5 “逢いびき
L’appuntamento
Sentando a beira do caminho”(原題) 1969年
“詞:Erasmo CALROS(Erasmo ESTEVES)
& Roberto CARLOS(Robert Carlos BRAGA
曲:Erasmo CALROS & Roberto CARLOS
伊訳:Bruno LAUSI(ブルーノ・ラウツィ 1937.8.8.~2006.10.24.)
訳:矢田部道一”
6 “哀しみの終わりに
La Maison Est En Ruine” 1974年
“詞:Michel DELPECH &Jean-Michel RIVAT
曲:Claude MORGAN
訳:古賀力”
7 “何故私に愛を語らない
Tu ne me parles plus d’amour” 1974年
“詞:LUCIANO BERETTA
曲:MINO REITANO & FRANCO REITANO
仏訳:Patrick Larue(Patrick Francois Armand AGERON)
& Pierre DELANOE
訳:松宮 一葉
1974年サンレモ音楽祭入賞曲(Mino Reitano)”
8 “初日の夜
Un Soir De Premiere” 1974年
“詞:Pascal SEVRAN
曲:Pascal AURIAT
訳:しますえよしお”
9 “無造作紳士
L’aquoiboniste アクワボニスト” 1978年
“詞:Serge GAINSBOURG
曲:Serge GAINSBOURG
訳:岩元ガン子”
10 “声のない恋
Mon Emouvant Amour” 1980年
“詞:Charles AZNAVOUR
曲:Charles AZNAVOUR
訳:永田文夫”
11 “メモリー
Memory” 1982年
“詞:Thomas Stearns ELIOT & Trevor Robert NUNN
曲:Andrew Lloyd WEBBER
訳:浅利慶太(法定訳詞)”
12 “それはあなた
Inoubliable” 1994年
“詞:Pierre DELANOE
曲:Charles AZNAVOUR
英詞:Carl SIGMAN
訳:アン・あんどう ”
13 “タラッサ~海
Thalassa” 1995年
“詞:Evangelia NIKOLAKOPOULOU
(Lina NIKOLAKOPOULOU リナ・ニコラコポウロウ)
曲:Athanasios MIKROUTSIKOS
(Thanos MIKROUTSIKOS タノス・ミクルティコス)
訳:アン・あんどう”
14 “プライド
PRIDE” 1996年
“詞:布袋寅泰
曲:布袋寅泰
歌:今井美樹”
15 花 1900年
“詞:武島羽衣
曲:滝廉太郎”
16 ベサメ・ムーチョ 1941年
“詞:Consuelo VELAZQUEZ
曲:Consuelo VELAZQUEZ
訳:鈴木勝”
17 “ろくでなし
Mauvais garcon” 1964年
“詞:Salvatore ADAMO
曲:Salvatore ADAMO
訳:岩谷時子(法定訳詞)”
以上
JASRACのデータ
楽曲の権利関係を調べるために
JASRACのデータ検索を利用しているが
しばしば、明らかなミスを見つける。
今回は「逢いびき L’appuntamento」という曲。
この曲はブラジルの名コンビ、
エラスモ・カルロスと
ロベルト・カルロスのコンビが
1969年に作った曲なのだが、
なぜか
JASRACのデータには
共同の作詞・作曲者として
Stig Erik Leopold ANDERSON
という名前が乗っている。
だが!!
Stig Erik Leopold ANDERSONとは、
スエーデンの音楽家で、ABBAのマネージャーなのだ。。
「逢いびき」という楽曲には、全く関係ない存在なのだ。
JASRACは、音楽利用者からお金を徴収する前にまず、正しく権利を把握する努力をするべきだ。
カーリング
今回のオリンピックは、本当に気分が盛り上がった。
しかし、カーリングは、オリンピックに出たチームが世界選手権に出られないという理不尽。。。
世界選手権に出られる条件は日本選手権に勝ったチームということだそうだが、
オリンピックに出たチームは日本選手権に出られなかったので世界選手権には出られませんって。。。
日本カーリング協会でやっている事って意味不明。。。。
JASRACという日本の著作権協会も、外国の曲の訳詞をやたらめったら禁止。
細かいコンサートやら、音楽教室やらからやたらお金を聴取して、
世間に音楽が浸透するのを妨害しようとしている理不尽。。。
どうも、日本の団体は、理論的じゃないのかもしれない。。。
https://pyeongchang.yahoo.co.jp/column/detail/201802250010-spnavi
音楽教室アルル
山手線、目白駅から5分くらいのところにある、
「アルル音楽教室」
私は一体ここに何年通っているのだろう??
軽く、25年くらい通っているのではないだろうか??
私はとにかく、歌が下手で
というか、
声が悪く、
歌う才能がないので
小学校の時から
歌にはものすごいコンプレックスがあった。
しかも
小学校の同級生のお母さんから、
「へえ、あなたって歌が下手なのね」
と面と向かって言われてからずーっとトラウマ。
今でも、そのお母さんの顔と名前は忘れないよ。
それなのに、
歌が好きなのだ。。。
本当に困ってしまう。。。
最初に習ったクラシックの先生は
「なぜ出来ないのでしょう??」
と私を異星人のように眺め、
次に習ったジャズの先生は
「出来ないのがわからない」
と頭を抱え、
その次に習ったミュージカルの先生は
「精神的に問題があるのだ」
と断言した。。。
それだけ言われても
歌を諦めない私もいい加減、おかしな人間だが、
やっと見つけたアルル音楽教室で
自分はテノールの音域を持っていると発見してもらってから
心底、歌う喜びを知ったのだ。
だから私は
歌が好きでたまらないのに、どうしてもうまく歌えない人に
本当の喜びを知ってもらいたい。
今、ずーっと生徒として習い続けてきたアルル音楽教室で
「シャンソン&カンツォーネ」のクラスを持たせていただいている。
本当に感謝感謝なのだ。。
私を救ってくれたアルル音楽教室に少しでも恩返しがしたい。
そして、
私と同じように歌が大好きなのに、
うまく歌えないと悩んでいる人に
歌う喜びを伝えたい。。。
歌は、本当に「心の支え」になる。
なぜって、
苦しいとき、自然に歌を口ずさんでいるから。
さあ、明日も、歌える喜びに浸ろう!!
福島原発事故による裁判
2011年4月11日、福島県飯舘村に住む102歳の大久保文雄さんは
村が計画的避難区域に指定されるとニュースで知り、
「避難したくないな」「ちょっと長生きしすぎたな」と漏らした。
翌12日朝、自室で首をつって自殺しているのが見つかった。
この事件で、ご遺族が東京電力に訴訟を起こしていたのだ。
昨日、2/20にやっと結審。ご遺族側の勝訴となった。
http://www.sankei.com/life/news/180220/lif1802200029-n1.html
この事件について、
ゼドゥヴァンというフランス語圏のシャンソン歌手が「Fukushima」という歌を2013年に発表している。
そして、その歌に感銘を受けた私は、日本語の歌詞をつけて歌っている。
ブログに詳細、書きました。。。。
https://ameblo.jp/chanson-canzone-latin/entry-12354530941.html
<岩元ガン子のシャンソン&カンツォーネ話>
愛の讃歌
「愛の讃歌」といえば、「シャンソン」の代名詞とも言われる曲。
当然、アルルでシャンソンクラスを開いた最初の課題曲。
改めて課題曲として取り上げてほしいとリクエスト。
2/23から、再び取り上げることにした。
日本では、岩谷時子さんの歌詞が有名だけれど、
岩谷さんの歌詞は、1952年9月、越路吹雪さんが急遽、二葉あき子さんの代役で日劇に出演すると決まったとき
切羽詰まって書かれた詞である。
そのときの音楽監督は、前年、パリに留学していた黛敏郎氏。彼が留学時、大いに耳にしたエディット・ピアフの「愛の讃歌」が
越路吹雪さんの目玉曲に選ばれた。日劇の本番まで、あとほんの数日。
原詩の意味とメロディーを黛敏郎氏が教え、岩谷時子さんがその場で詞を書き、越路さんの代名詞とも言われる歌が生まれた。
<岩元ガン子のシャンソン&カンツーネ話>
楽譜にはこだわってます!!
私のクラスでは、楽譜は必ず私が歌いやすいように作り変える。
音楽を勉強していれば、楽譜を読み込む作業こそ、個性を出すところなので、むしろ、細かい楽譜の読み込みまで指示されたくないかもしれないけれど、
私は、市販の楽譜では四分音符1つのところを言葉の割り振りに合わせて、八分音符にしたり、付点にしたり、必ずかなりの手間をかけて作っていく。
そこまで作り込んでおくと、初めてレッスンに来た人も楽譜を見れば歌えてしまうという便利さがある。
でも、レッスンを見学に来た人たちは私のそんな努力は知らない。
楽譜なんて、適当に10円でコピーしたものだろうという頭があるので、
「この楽譜はお貸しするだけなので、必ず置いて帰ってください」とお願いしても、殆どの人が、持って帰ってしまう。そういう人はもちろん、コピー代も置いていかない。
20年余り教えているけれど、楽譜の重要さを理解する人にはなかなか巡り合わない。。これはもう、諦めるしかないのだろうか。。。
<岩元ガン子のシャンソン&カンツォーネ話>
同じ釜の飯
青春のある時期、、、芝居で、お笑いで、同じ釜の飯を食った仲間たちと久々に会った。
なんてまあ、楽しいんだろう!!!
<岩元ガン子のシャンソン&カンツォーネ話>
京急
今日は、母とお出かけ。。暖かかったので、お墓参りに行きました。
京急の一番前の座席って、
運転席が見えるように進行方向に向いた座席になっているのね!!うひっ!!
<岩元ガン子のシャンソン&カンツォーネ話>
夜の想い Se stasera sono qui
1967年1月のサンレモ音楽祭初日に
予選落ちしたルイジ・テンコはホテルの部屋で
ピストル自殺。
そのルイジ・テンコが前年ピアノ伴奏だけで録音しておいたのが
「夜の想い Se stasera sono qui」という曲。
この楽曲の日本語訳詞は、あの小椋佳さん。
なぜ小椋佳さんが訳詞をされたのか、不明。
レコード会社からの依頼なら、ジャスラックに登録するはずなのに登録なし。
理由を伺ってみたい。。。
<岩元ガン子のシャンソン&カンツォーネ話>